REPORT

20021019

北の丸公園にて、日本画材工業会主催「秋の大写生会」が行われた。

すばらしい日を過ごした。写生会を偶然知ることができて、私はとても嬉しかった。朝の10時から夕方まで一同に650人近くが集まり写生した。様々な技法で、好きなように。私は油彩で写生するのが慣れているので油彩にした。終了後には大学の先生による写生の合評。
 最初はただ、軽い動機で参加した。行ってみると場所は17世紀に建てられた史跡、清水門前。最初に全員が写生して、次にお互いに自由に鑑賞し、意見を交換しあう。ただ芸術について談笑した。
 私の傍で描いていた人はドイツの史跡を訪れた時の印象について。また油彩で描いていたもう一人の隣人はプロヴァンスについて話した。誰もが話すようなお決まりでない独自の視点をもっていた。私は各画家が独自にテーマを見つめるのは正しいと思う。その後、和やかに自然の中で昼食をとり、そしてまた描き始めた。自然の状況は難しいものだった。常に色彩関係が変化していった。最初は曇り空の下、灰色でもやがかかり、その後遠くから太陽の光が差し込んできた。そんな状況にもかかわらず、皆着々と仕事をしていた。何か礼拝に似ていた。偉大な門の元に集合し、空に向かって円柱のように伸びる木の幹、全員が一度に力を測り、自然への賛歌を歌う。リトゥルギーヤ(典礼)。日本の秋。
 私には有益に感じた。違う年代、違う画歴の人々が集まった。子供を連れた母親が親子で筆を握っていた。経験の違う、又、画法の違う者同士が話しをする機会はめったにない。日本では、年代の違うもの同士はあまり話しをしたり、集まったりしないように思われる。ここでは非常に良かった。芸術と自然への愛で統一されていた。歓喜し、心が踊り出した。なぜなら大きな公園で全員が一心に絵を描いていたから。私達の上空は穏やかな空気で包まれた。並木道の向こうから芸術の神アポロンと女神ミューズ達が歓喜をもってやってくるようだ。
 通りすがりのアメリカ人旅行者が、アート上陸部隊に占領された場所を唖然として見ていた。隣りの科学技術館でモード展示即売会のために行列に並んでいた人々が、買い物の後、写生の鑑賞者へと変わった。主な鑑賞者は旅行者と散歩にきた人だった、これもまたすばらしいことだ。現代の歩行者はすすんでギャラリーに入ることはない。
 全体的に珍しい行事であった。信じられなかった。どのようにしていいかわからなかった。写生を続けるか、レポーターとして写生会の様子の写真を撮るか。このような信じられないほどの出来事はこれまでにどこの国でも歴史的にも聞いたことがない。オーガナイザーとスポンサーに感謝します。テレビ局で働く私の兄が、もしこの場にいれば、撮影グループを消防隊のごとく派遣したでしょう。彼に手紙を書きます。おそらくショックを受けるでしょう。翌日2人の友人にメールを書いた。大学の同級生で1人はオーストリアで美術雑誌の編集をしており、もう1人はアメリカで学芸員をしている。返事がきた。マラソン大会の間違いではないか、650人も絵を描きに集まることがありえるのか。早速、友人に話して同志を集め、小さい写生会を行ってみたいそうだ。ファンタスティック。
 アトリエでは決まった風にはいくらでも描ける。自然の中で眼を洗うことは、エチュードを描くことは参加者にとっても有益である。アトリエに帰って、自然の中で鍛えられた眼で作品を見ると違った新しいアイデアが浮かんでくるのだ。参加者の中に同調、連帯が生まれた。お互いに絵の具を通して、本能的に気持ちが通じあう。企画してくださってありがとう。これまでずっと絵画にかかわってきたにもかかわらず、初めてこのような企画に出会いました。この日のことを一生忘れません。歴史的な場所、自然、絵描き達のことを。
 皆さん。あなたのことを描いてください。私は全て興味があります。残念ながら、日本の美術界をことをよく知りません。現在、システムもなく見る偶然目に入るものに参加しています。もっといろいろな情報が知りたいです。